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  ■ブロードバンド回線民話口述
〜恩納ナビーと金武松金〜:6分39秒

■ISDN・36Kモデム回線民話口述
〜恩納ナビーと金武松金〜:6分39秒
 

 
 

 恩納ナベは18世紀のはじめ頃、琉歌の歌人として活躍した人です。字恩納のマッコー屋の農家の生まれだといわれています。当時は「マッコー屋のナビー」と呼ばれていたそうです。
しかし、出生や没年、兄弟はいたのか、ナベは結婚していたのか、子はいたのかは定かではありません。ナベは半ば伝説的な人物として伝えられています。
 
  沖縄には古くから、八・八・八・六音からなる琉歌とよばれる歌がありますが、ナベは小さい頃からこの琉歌に親しみ、二十才の頃にはいくつかの歌を作っている。ナベの生きていた時代は沖縄文化の黄金時代とよばれ、首里、那覇の人たちだけでなく農村の娘たちでも琉歌を作るのが流行っていたそうです。また、ナベの育った恩納村は恩納岳、万座毛、恩納松並木などナベの周辺には歌の背景になるものがたくさんありました。こうした恵まれた環境の中でナベはたくさんの歌を作りました。


 中でも若い頃に詠んだ〜恩納岳あがた、里が生まり島、森んうし除きてぃ、くがたなさな〜と晩年の作〜波ぬ声ん止り、 風ぬ声ん止り、首里天がなし、美御機拝がま〜は傑作といわれています。この「歌人恩納ナベ記念碑」が万座毛の入口広場の右隅に立っています。



万座毛

恩納ナビー生家跡
 
  文化の連続再生:30分23秒  
 
 
 
 
 
 
 







万座毛にある恩納ナビーの石碑

万座毛にある恩納ナビーの石碑
 
 
  1728年、尚敬王時代の三司官・蔡温は、いくつかの行事・しきたりを廃止し、部落を越えた交際を禁止しました。他間切(他の部落)の人とは結婚できない村内法を破ると一家は村八分にされた時代でした。

〜姉べたや良かちシヌグしち遊でぃ わした世になりば御止さりてぃ〜
訳:
先輩たちはよい時代に、毛遊びなどで遊ぶことができたのに、私たちの時代はそれが禁止された。

〜恩納松下に禁止ぬ碑ぬ立ちゅし 恋忍ぶまでぬ禁止や無さみ〜
訳:
恋を禁止する条例まではないだろう。

〜恩納岳あがた里が生まり島 森ん押しぬきて此方なさな〜
訳:
恩納岳のあちら側(金武町)は里(恋人)の生まれた村、山を押し払って村をこちらになそう。

※金武間切の「松金(まちがに)」という青年に恋をしていたと云われています。当時では大胆不敵ともいえる琉歌を詠みあげています。



 
  万座毛   恩納ナビー生家跡   万座毛にある恩納ナビーの石碑   万座毛にある恩納ナビーの石碑
  撮影協力: 金武町教育委員会 社会教育課
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